ANAの特典航空券を利用して結婚のご挨拶に
ANAマイラーになって約1年。気づいたら23万マイルを超えていました。
ANAマイラーになって約1年ですが、そのうちの9ヶ月間は海外にいましたので、海外にいても大量のマイルを貯めることが出来たというのは、大きな自信になりました。
そして、いつかは特典航空券を発券してみたいなと思っていたところ、ちょうど僕の相方の実家の親御さんに結婚のご挨拶に行く予定がありましたので、新潟ー名古屋間の特典航空券を発券してマイルの恩恵を受けてきました。
新潟から名古屋に行くとなると、高速バスor新幹線の2択だったんですが、気楽に飛行機に乗れるようになりました。
必要マイル数は、新潟ー名古屋間の往復の場合は10,000ANAマイル。1ヶ月で20,000ANAマイルずつ貯まっている僕にとっては、痛くもかゆくもないマイル数です。
国内移動が飛行機になったことで出世したと感じるのが普通かもしれませんが、僕の場合は、出世というよりは、解脱の方が言葉としてはしっくりきます。
両家顔合わせは名古屋を予定しているので、家族全員分の飛行機代をマイルで発券する予定です。
マイルは家族にも使えるので、ありがたい。
年間20万ANAマイルを貯めて見えた世界
一言で片付けてしまえば「マイルってすごい!」という事が言いたいわけなのですが、僕がヒシヒシと感じたことを書いてみようと思います。
2016年3月から海外旅行や移住をしたりして「移動」を真剣に考える事になりました。
そして、移動をすればするほど「移動の自由」を手に入れるのが、僕の中でのコンセプトになってきました。
海外旅行の出費の約半分は航空券という移動費です。国内旅行の出費も移動費が大きな割合を占めます。
その移動費が0円になったとしたら・・・
移動をすればするほど「移動の自由」というものに価値を見出すようになったんです。
そして、「移動の自由」を日本国内で手に入れることが出来たことで、空港と都市部、観光地とその連結で日本を捉えることが出来るようになりました。
見える世界がまるで変わり、日本の良い部分も悪い部分もより客観的に、より深く見えてきます。
また、マイルが最大限の価値を発揮するのは海外の航空券なので、マイルを貯めれば貯めるほど視点は自ずと世界に向いていくようになりました。
学生の時に「焼肉を食べに韓国に行こうぜー!」と、軽々しく言える大人になっていたいと思い描いていましたが、今ではそうなることが出来ました。
何せ、新潟から東京に出るよりも、新潟から韓国に行く方が安い。もっと言うと、韓国に行くのにお金がかかりませんからね。
手にする移動手段で価値観は大きく変わる
僕が子供の頃、移動手段によってこんなにも大きく価値観を変わるのかと、驚きの連続と感動がそこにはあったように思います。
自転車を手に入れたことで、移動範囲が「町」単位に広がりました。そのおかげで目にするものが変わり出会う人が変わり価値観が広がっていきました。
そして、バイクを手に入れたことで「市」単位で移動範囲が広がり、視野もどんどん広がっていきました。体験できる幅が大きく変わりました。
さらに、車を手に入れたことで「県」単位になり日本を感じられるようになっていきました。
自分がどんな移動手段を選択できるかで人生の幅は決まると思うんですよね。
今では、飛行機を路線バスのように乗りこなせるようになったことで、移動範囲が「国」単位になり、1年前とは見える景色が全く違います。
『世界レベルで、自分にとって住みやすい街を探す。』という視点で現在は生活を送るようになりました。
数年前では考えられませんでしたが、僕のライフスタイルの中にマイルという概念を組み込んだら世界が変わったのです。
マイルで移動の自由が手に入る
このブログを読んで頂いている方は、きっと賢い人が多いでしょうから、ロジックを聞けば「え、そんな簡単に貯まるの?海外旅行ってめっちゃ身近じゃん!」と思って頂けると思います。
結局、海外に行ったり旅行をすることがイマイチ本格化しない人って、旅のイメージが、ふわっとしているはずなんですよね。
「そこに行くのにいくらかかるんですか?」
「そこに行くのに何時間かかるんですか?」
と聞けばほとんどの人がグッと詰まるんです。あまりないんです。旅先のイメージが。
もしかしたら、それは航空券というお金が邪魔をして「いつか行けたらいいな」くらいになっているのかもしれませんが、それはめちゃくちゃもったいないことだと思うんですよね。
旅の専門家という立場から言わせていただくと、航空券にお金がかからないのが、これからの海外旅行です。
21世紀の海外旅行は、どれだけ「移動の自由」を手にすることが出来るかが大きな鍵です。
そして、これからの時代において、これは必須科目だと感じています。
もっと早くマイルを貯めることに気づいていればと後悔していますが、逆に、気づけて良かったとも思っています。