自分らしくやりたいことをじゃんじゃんやって自由な人生を送りたい!僕は大学生の頃にそう思うようになりました。
ですが、当時はやりたいことさえも見つからず、自分らしく生きることさえも出来ないのではないか?と思っていましたが、今では自由に自分らしくやりたいことをやって生きるライフスタイルになっています。
自分らしく自由にやりたいことをやって生活したい!と思うけど、どうすればいいか分からずに悩んでいる人は、ヒントを散りばめていますので、ぜひ読んでみてください。
目次
僕は「いい人」を演じる天才でした
今でこそ、自分のやりたいことをやって、それが仕事になって、それをやりながらも世界一周の旅をするという非常識な生き方をしています。
ですが、正直、こんな生き方が出来るとは思ってもいませんでした。
今は、合わないなと思ったお客さんだと自分から仕事を断ることもありますが、過去の僕は、断るということが出来なかったんです。嫌われたくないし、良い奴だと思われたいし、変な評判が回ると嫌だという恐怖心や不安が先行していました。
そして、何よりお金お金していましたから。笑
でも、今では、どんなに目上な方でも、どんなにお金になりそうな仕事でも自分で選ぶようにしています。なぜなら、合わないなと思ったらお互いのためにならないということを経験を通して勉強してきたからです。
どん底に落ちて生き方をシフトチェンジ
一時期すごく大変な時期があって、その時がキッカケで大きく生き方を変えました。優等生をやっていたらどんどん苦しくなって、全財産5,000円。明日の仕事なし。という状態になっちゃったんです。
人間そこまでいくと不思議なものでして、“開き直る”という現象が起きます。
「空っぽになったことだし、もう、失うものも何もないし、好き勝手わがままに生きちゃえ!」
と。笑
それが25歳の7月1日。
そして、今は29歳の6月26日。あれから約4年です。
僕はノマドになって4年経ちました。(←イェイ!)
好き勝手わがままに自分らしくいれる状況を時間をかけて構築してきたので、本当に自由に好き勝手やらせてもらっています。
自分らしく生きることが出来る環境は、すごく楽ですし、ストレスもほとんどなくなりました。僕のことを許してくれる方々のおかげさまです。
でも、それまでは、すごく束縛感や不自由感が強くありました。自由というものを求めて求めて求めまくって再出発してから4年。
あの束縛感や不自由はどこから来ているのかを振り返って掘り下げて考えてみました。ようやく言語化出来そうなので、頑張って文章にしてみたいと思います。
自由を求めていたり、生きることに窮屈さを感じる人にとってヒントなると思いますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
結局、他人の評価が人を不自由にさせている
自分を不自由にさせている真犯人は、他人によく思われたいという気持ちだと思うんですよね。言葉を変えるなら、他人によく思われないと不都合な事がたくさんあるということを潜在的に刷り込まれていることにあります。
僕が考える生き方の理想として、自分がやりたいと思ったことを全力でやって、そして、それが自分のためにもなって、周りのためにもなって、そして、結果を与えることで評価をされるというのが一番理想だと思うんですね。
なかなか難しいかもしれませんが、そこを目指すことをしないと、いつまで経っても不自由さは消えるものではないと僕は思います。他人に認められたいという承認欲求が、あなたの自由を奪っている正体なんだということが今ではよく分かります。
子供の頃の“自由”を思い出せばいい
望むことで自由になりたい。束縛から自由になりたい。周りの目を気にしなくなりたい。というのは、ひとまず、そう思うことで少しずつそうなっていきます。
なぜなら、誰しもが、もともと自由であって不自由を感じる状態ではなかったからです。
赤ちゃんってそうじゃないですか?
お腹が空いたら迷惑かどうかを考えずに泣くし、眠くなっても泣くし、どう思われるか関係なく自分の意思と行動が一致しているわけですよ。
それが、徐々にお父さんやお母さんの反応を見たり、周囲の反応を見ながら自我が芽生えていきます。
すると、他人に認められるように、自分はどう振る舞えばいいかという承認欲求が出てきたはずなんですよね。
そうやって、周りの目ばかりを気にして生きていくと、自分は何を考えているのか、何をやりたかったのかが分からなくなってくるという状態にハマっていくというのがほとんどの大人が進んでいく道です。もちろん僕もそのうちの1人でした。
ほとんどの大人が何がやりたいかが分からなくなっちゃっているのは、おそらくここから来ています。承認欲求がこびりついちゃっているんです。
でも、赤ちゃんの時は、自分の望みと行動が一致していたはずなんです。思い出せない場合は、赤ちゃんをよーーく観察してみてください。
自由奔放なのにも関わらず、皆から愛されて自分の望みをどんどん叶えていますよね。誰が一番願望実現が上手なのか?という観点で見たら、間違いなく赤ちゃんだと思うんです。
「優等生・いい人」は得をするのか?損をするのか?
どんどん大きくなるにつれて周りの反応を探るようになると、自分の望みと行動が一致しないようになってきます。自分が望むことを行動するのではなく、ほめられることを見つけてそれに合わせた行動を取るようになっていくというパターンにどんどん変わっていきます。
そうやって周囲の反応によって行動を変えていくことで失われるものがあります。それが「自分の本心」というやつです。
人間はどんどん頭が良くなっていくので、いつからか欲求をすり替えていくことを覚えます。利口になればなるほど自分の望みが他人からの評価なんだという勘違いを起こすようになります。その良くなった頭で自分の心にフタをしていくのです。
次第に、学校、会社、社会などの周りの反応で決めること。つまり、自分の考えは横に置いて答え探しをしていくようになるんですね。
そうなると、もう本心がどこにあるのかが分からなくなり、自分の考えも何かが分からなっていきます。
「自分で考えてやってね」と言われた瞬間に「え?自分で考えるって何?」と、苦手に感じる人はこれが根本の原因だと思うんですよ。
周囲に合わせた作り笑いはこの世の七不思議
幼い頃に芽生えたほめて欲しいという気持ちが、大人になるにつれ、自分が何をしたいかではなくて、周囲を見て行動するという行動パターンにいつしか切り替わっているんです。
それを長年積み上げていくわけなので、いつしか潜在的に他人へ恐れを抱くようになって「否定されないようにしないといけない」「嫌われないようにしないといけない」という恐怖をベースとした行動パターンになっているわけです。
喜ばれるためのプレゼントではなく嫌われないためのプレゼント。
仲間外れにならないように周囲に合わせた作り笑い。
など、挙げればキリがないんですが、こういう摩訶不思議な現象が起きてきます。
これ、どういう状態か分かりますか?
全てのモチベーションの源が恐怖なんです。「怖いから〇〇をやる。怖いから▲▲をやる。」というようにどこかでビクビクしながら生きているんです。
すると、そこには強烈なストレスしかないので、どんどん苦しくなって当たり前ですよね。これがあなたを不自由にさせている正体です。
モチベーションが上がらないのは当たり前
すると、やりたいことをやって生きている人のエネルギーよりも、「〇〇にならないように」という恐怖のモチベーションで生きている人のエネルギーは圧倒的に弱いです。
そして、制限がかかりまくっているので、良いアイデアが出てこなかったりするわけです。いや、良いアイデアが出てきたとしても自分でフタをしちゃうんですよ。
すると、「言われたことをやる」という選択肢しか残らなくなってくるわけです。
それじゃあパフォーマンスが上がるわけがありませんよね。
優等生を演じて。聞き分けのいい子を演じて。他人を思いやるフリをして。
(僕は、他人から評価される術を知っていた&実行する腹黒さがあったのでやってしまっていました…)
そうやって他人の目を気にして他人の評価を求めるあまり、その代償として、自分のやりたいことが何なのかが分からなくなり、自分の意見というのがなくなっていたことに気づいたのが18歳。結局、25歳くらいまでの約7年間、ずっと苦しんでいました。
このリハビリ?デトックス?を経て、自分の手元に入ってきてくれる出来事、人もだいぶ変わり、かなり自由になれました。
「優等生」「いい人」を卒業したら、景色が変わりますよ。もちろんドロドロな膿も出てきますけどね。笑
一度きりの人生です。自分らしく生きる人が少しでも増えたらと思っています。