今回の記事は突然アメリカ勤務になったKさんの体験談です。苦労の多かった現地での生活について語ってもらいました。
目次
アメリカに住むようになったキッカケ
会社の研修で、アメリカのバーモント州(バーモントカレーのバーモント。ニューヨーク州の隣です)の語学学校に4か月間、同僚とともに英語の勉強に行かせてもらいました。
4か月の研修期間が終わろうとするある日、日本から電話がかかってきて、オハイオ州シンシナティにあるアメリカ本社の海外事業部門ファイナンスで勤務するように突然言われました。まさに、晴天の霹靂。
「やったあ、自分は評価されている!」と思う半面、研修前に付き合い始めた彼女と会えなくなるのがたまらなく寂しかったです。
色々悩んだ結果、シンシナティで1人で生活することになりました。
アメリカの滞在期間と費用
14か月間、シンシナティの北東部にあるタウンハウス(日本の長屋を2階建てにしたような家)で生活しました。レンタルの家具、調理器具、乗用車などは、アメリカ本社の人事部があらかじめ手配してくれていました。
同じタウンハウスには2,3組の日本人夫婦が生活しており、ダウンタウンにある会社まで、車で30分くらいでした。
当時の給料がたしか2400ドル(26万円)くらいで、毎月600ドル(7万円)を(離れている)彼女との国際電話代に使っていたので、タウンハウスの賃料などを支払うと、100ドルくらいしか残りませんでした。
アメリカでの苦労
語学学校で4か月間英語を勉強しても、所詮はネイティブとは違います。会社の仕事は何とかなっても、日常生活の英語にはなかなかなれませんでした。
例えば、シンシナティに着いた日の夜にレストランに入って注文した時、”For here? Or to go?” (店内で食べますか?それともお持ち帰り?)という英語が理解できなかったり。
食事は、カフェテリアで、食べられそうな、味付けが濃くなさそうな料理を選ぶのに苦労しました。割高で美味しくないのを承知で、日本食レストランに頻繁に行っていたのが懐かしい思い出です。
そして、日本に国際電話をする以外に、心置きなく話せる場がなかったので、ストレスがたまりました。ある時、ストレスのあまり前の車にクラクションを何回も鳴らしてしまい、前の車を運転していた黒人ドライバーに追いかけられ、これは映画で見るようなヤバいことになるんじゃないかと怖い思いをしました。
転機になった出来事
海外事業部門の業績予測を取りまとめる仕事をしていましたが、ある日、上司のドイツ人ではなく、自分が直接、海外事業部のトップに報告してほめられたことがありました。その時の経験、自信は、その後のキャリアを切り開くための財産になっています。
アメリカ生活をするにあたってのアドバイス
アメリカ州によって気候、人々の気質が全く違うでしょうが、やはり、困った時に相談できる友達を作るのが一番です。
私は内向的な性格の為にずいぶん損をしましたが、パーティの誘いには積極的に参加するとか、大学の開放講座に参加してみるとか、自分にあった”他の人と交わる・知り合いになる”方法が色々あると思います。
少しだけ勇気を出して、知り合いを作る機会を見つけることをお勧めします。海外生活を、よかったと思えるものにするのもしないのも、あなた次第です。
編集後記
気兼ねなく話をしたり、ご飯を食べに行ったり出来る友だちの有り難みに気づけることも海外生活ならではの経験だと思います。
どれだけ友だちや彼女彼氏に支えられていたかを実感しますし、今後の人生で人に優しくなれるのも海外生活を通して得られる収穫なのではないかと僕は感じています。友だち、仲間は大切です。
人にやさしく!!自分にも優しく!笑